研究室


【研究1】ブータン王国、ゾンの入り口に描かれているトラと牛に関する研究

 (2022年11月20日Bニュース主催者・山本けいこ様よりご質問があり、2022年12月9日に返答。2022年12月11日に関係者に配信。

 

Tiger on the wall painting at Paro Rinphung Dzong
Tiger on the wall painting at Paro Rinphung Dzong
Ox on the wall painting at Paro Rinphung Dzong
Ox on the wall painting at Paro Rinphung Dzong

Tiger on the wall painting at Mongar Dzong
Tiger on the wall painting at Mongar Dzong
Tiger on the wall painting at Mongar Dzong
Tiger on the wall painting at Mongar Dzong

(1)人物は「モンゴル人」で正しいのか?

チェーンにつながれた虎を引いているのはモンゴル人で間違いないと思われます。

一方、牛を引いているのは「チベット人」だとガイドから聞いたことがあります。

そして、考察の結果私も「チベット人」の可能性が一番高いと思います。

その理由は後述します。

 

(2)もし正しければ、なぜモンゴル人が登場するのか?

これは非常に複雑で、虎のいる壁画と牛のいる壁画とは別に考えなければなりません。

まず虎のいる壁画の方を説明します。

この壁画はチベットでゲルク派が他の宗派を抑えて力をつけてきた17世紀(1642年チベット政府発足)ごろから描かれるようになったそうです。

ゲルク派のトップである「ダライ・ラマ」の呼称は、16世紀のモンゴルで最有力指導者であるアルタン・ハーンから贈られたモンゴル語の称号から由来していて、ダライ・ラマの5世の頃です。

つまり、それまで政府はなかったけれど、ダライ・ラマ5世の時にチベット政府が発足したということで、実際、発足にはアルタン・ハーンのかなりの力が働いていたようです。

そこで、この壁画はアルタン・ハーン系部族であるモンゴル人に敬意を払って描かれるようになったとモンゴル人の間では理解されているようです。

一方、牛のいる壁画については、チベット仏教関係からの資料は皆無でしたので、虎の壁画の史実をブータンに重ね推測しました。

17世紀ブータンでは、1616年にゲルク派に追われチベットから逃れたカジュ派(シャブドゥン・ガワン・ナムゲル)が、その時期にブータンで勢力を持っていたカジュ派の系列であるドゥック派と組んで強力な政権を樹立しています。

その後、1907年にウゲン・ワンチュク(ドゥック派)が世襲君主制のワンチュク王朝を樹立するまでは、ガワン・ナムゲル以降のシャブドゥンもブータンの政治システムにおいては国の精神的指導者として君臨します。

このブータンの歴史はチベット政府発足の流れと酷似しています。

そして、牛のいる壁画はおおよそチベット仏教壁画では描かれていない(資料がない)こと、そして、ブータンで描かれているのは(寺院ではなく)ほぼゾンであることから、私はこの壁画はブータン独特のもので、[仮説A] シャブドゥンのゾン建設の中で描かれるようになった、あるいは、[仮説B] 1907年にワンチュック王朝樹立の後に建立されたゾンで描かれるようになったと推測しています。

(この [仮説A] [仮説B] のどちらなのかという問題は、描かれているゾン全ての建立時期を調べれば特定できるのではないかと思います。)

ちなみに、水牛であるかどうかの考察から [仮説C] も後述しています。

下記の全てのご質問の中で、牛のいる壁画に関した部分はこれらの仮説を基に見解を書かせていただいています。

 

(3)水牛なのか、ミタン牛なのか?

これについては、調べ切れていませんが、(4)〜(6)で書いた仮説の中で見解を書かせていただきます。

 

(4)これらの画がゾンの入り口近くに描かれているのには、どんな意味が有るのか?

知り合いの絵師からは「(この絵は)門番の役目で、犬より強い虎を描く」など、絵師たちが代々言い伝えられている説明をもらいました。

この「門番」という回答は至極単純ですが、次の(5)の見解から考えても、入り口に描き厄を払い現政権樹立への忠誠を誓うと言う意味で言い当てていると思いました。

他に、虎のいる壁画に関しては、手に本(経典)を持つモンゴル人は「文殊菩薩」、恐ろしいタイガーは「金剛菩薩 (Vajrapani)」、そして、そのタイガーを拘束するチェーンは「観音菩薩」の、「三大菩薩(リク スム ゲンポ Rig Sum Gyempo)」を表しているという資料もあります。

RIg Sum Gyempo は入り口に描くようで、メモリアルチョルテンの門の上部にもスレート彫刻の Rig Sum Gyempo があります。

しかし、コレは後付けだと私は思っています。

牛の方は描いている素材は違いますが、私はやはり同様の意味を持っていると思います。

 

(5)これらの画は何を暗喩しているのか?

この回答も明確に書いている資料は見つかりませんでしたが、(2)の説明から推測するに、虎のいる壁画は「アルタン・ハーン率いる味方のモンゴル人がゲルク派以外のチベット仏教宗派(虎)を抑え込み我々ゲルク派に統治の力(ゾン)をもたらしてくれた」という歴史を描いているのではないかと私は考えています。

一方、問題は牛のいる壁画の方で、チベットでの由来を基に、前述した仮説毎に推測しました。

さらに、描かれているのは誰で何の動物なのかは、仮説毎に違ってくると考えています。

[仮説A]では、「シャブ・ドゥン率いるカジュ派が、ドゥック派(カジュ派の一系列)以外の勢力を抑え込み、カジュ派系勢力に統治の力(ゾン)をブータンにもたらした」という歴史を描いている。

→そうなると、描いてあるのは「チベット人(カジュ派のシャブ・ドゥンたち)」と「ヤク(チベット人、あるいはブータンでは野蛮だと思われていたブロッパの象徴)」あるいは「牛(ミタン牛?)(ブータン人(シャチョッパ?)の象徴)」ということになります。

(現に、ヤクが描かれているものも存在するようです。)

[仮説B] だと、「ワンチュック王朝がシャブ・ドゥンの時代を終わらせブータン人による統治の力(ゾン)をもたらした」というもの。

→そうなると、「ブータン人(クルテップ)」と「ヤク(チベット人の象徴)」ということになります。

そして、ここでもう一つ、もし水牛だとしたら・・・・という点から、[仮説C] を立てます。

水牛はインドや中国で生息しているイメージがあります。

そこで、もしかしたら、後々「ワンチュック王朝がインドと中国からブータンを守った」ということを描いた可能性もあります。

→そうなると、描かれているのは「ブータン人」と「水牛」ということになります。

これら仮説の信ぴょう性も、描かれているゾン全ての建立時期と描かれている動物の図案を比べてみれば特定できるのではないかと思っています。

 

しかし、現に描いている人物の服装はゴではないので「ブータン人」という仮説は成り立たず、やはり [仮説A] が一番しっくりくるような気もします。

ただ、牛のいる壁画は時代とともに変化している可能性もあります。

そして、この絵柄は暗に敵を批判しているので、政治的意味を語るのはタブーだった(暗黙の了解で語らず)ような気がしています(だから、Rig Sum Gyempo と結びつけた?!)。

 

6)背景の実のなっている樹木は何なのか?

樹木についての資料も皆無でしたが、Four Friends を併せて描くこともあるので、Four friends の樹木と同じ意味があるのではないかと思います。

ちなみに、Four friends の樹木は「Banyan tree(ベンガル菩提樹)」とのこと。

ただ、ヒンズー教の教えから来ているので、ブータンで描いている絵師たちはベンガル菩提樹を写実的に描いている意識はなく、すでに形式化しています。